なんの為に生まれて、何をして生きるのか

答えられないなんてそんなのは嫌だ


あけましておめでとう御座います。
戌年の松村です。



みなさんご存知アンパンマンマーチの一節


深い…ですね…

子供向けアニメだというのに

大層重い命題を課しているアンパン



しかし、一度は考えるのではないでしょうか?



なんの為に生まれて、何をして生きるのか


これからの人生どう生きるべきか


私は当然の如く未だ迷子です。


ところで最近「不死の講義」という本を購読しました。(読み途中)


タイトルの如く不死の定義や方法、現代の視点での不死などについて書かれています。

最初に示されるのが不死になる為の
《4つのシナリオ》が示されており

生き残りのシナリオ
「永遠にー物理的に、この世で死を避けるという基本的なシナリオ。老化や、死の現実を打ち負かす《不死の薬》の存在。古代から現代にかけ研究される物。」

蘇りのシナリオ
「物理的に死なねばならないと言う現実に対し、生前に持っていた物と同じ身体で復活できると言う信念。宗教的な物、テクノロジーによる人体冷凍保存、自身をコンピューターにアップロードするなど様々な形態がある。」

・霊魂のシナリオ
「物質界は当てにできず、永遠性の保証がない。そこで霊的な存在、すなわち霊魂として生き延びる事を夢見る多くの宗教の中核であり肉体無しに生き残る思想。」

遺産のシナリオ
「おそらく最も広く普及しているシナリオ。
この《遺産のシナリオ》には慰みを見出す事ができる。名声、栄光、あるいは遺伝子といった形で未来まで存続する事を主眼としている。」


古代より上記の不死を追求した研究がなされていたようです。




別に私は死にたく無いわけでは無い。
と言ったら嘘にもなりますが
不死的な永遠を望むわけでもありません。




だからこそ、上記の《遺産のシナリオ》という物には少し思う事がありました。

いま、このまま死んだとして

何か遺せているのか?



答えはノー


偉大でありたいわけでも無い


壮大でありたいわけでも無い


ただ、このままは嫌かな漠然とした思考。


しかし、何かを遺すと言う事は大変難しく




何かを遺す為には何かを成さねばなりません。

いわゆるチャレンジ

寅年は動き出した人が勝つ年だとか



虎だけにトライなのか

自分の身近には常にトライをしている人々がいます。

昨年は背中を押されたり蹴られたり



私にチャンスを下さる素晴らしい方々です

自分から動き出すのは苦手な私は、その環境は少し窮屈にも思えましたが

やってみれば楽しいし、新しい力にもなる

でもいつまでも足にしがみついて蹴られるのを待っているわけにも行かないですね。

今年は自らの足で蹴り出して行かねばなりません


当たり前ですが…


昨年より行なっている活動をさらに詰めていく



治療家として、トレーナーとしての技術力

嬉しいことにやる事は山程あります。



先ずは単純に目の前のことをクリアしていく

今までやってきた事が繋げられるよう考えていく
自分のやれる事は何か
これからやっていく事は何か



己の働き方、生き方の指針を取る


今年は結果を出す年

周囲の関わる人達の為


自分を笑って支えてくれる家族の為



いざ


レッツトライ!🐯