どんな最期を迎えたいか

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みなさんこんにちは!


いそはた接骨院の三嶽です!


今回の内容は!


ちょいとだけ。

ちょっとだけいつもより真面目に

いつもよりちょっとだけ重い、というか

真剣な内容を….書こうかと。


読み終わって何か感じて貰えれば嬉しいです。

・2022年8月11日

祖母が他界しました。

まあ、僕も26歳ですし、

婆ちゃんや爺ちゃんなどの親戚が亡くなるっていうのは珍しい話じゃないです。

でもまぁ今回の婆ちゃんが亡くなった件は
ちょっと我が家にとって”特別”っていうか、
意外と色んな人の役に立つんじゃないかな
って思うんですよね。


亡くなったのは僕の母方の婆ちゃんです。

まぁ、簡単に言えば「寝たきり」


だったんですよ。


原因は【ピック病】


っていうアルツハイマーとかに似てるやつで


前頭葉や側頭葉が萎縮していく病気です。

超絶簡単に言えば脳が小さくなって

神経も筋肉もしょぼくなっていくんですね。

原因も治療法もいまいちはっきりしてない病気で


その件も絡めた内容は
こちらにあるのでこれ先に読んでもらったうえで今回の記事に戻って貰えるとわかりやすいかと
思います。

https://note.com/embed/notes/nd945a39b4201

婆ちゃんは約15年かな?(たぶん)

老人ホーム?


みたいな施設で過ごしました。

最初の2年ぐらい、、、かな?


脳の萎縮の進行に対して運動神経が阻害されていませんでしたので普通に歩いてましたし、
なんなら施設が嫌で脱走しようとしてたぐらい元気でした。笑



んでんで、


たぶん施設入って3年、4年くらい?


恐らく僕が中学生の頃かな?


なかなかベッドの上から動かなくなって…


結局、歩けなくなりました。

その次はご飯が自分の意思で食べれなくなり

気づけば胃から栄養を摂ってました。

ある年に境にグッと病気が進行したので
その当時、

「アルツハイマー ピック病 違い」


「ピック病」


「ピック病 進行度」


「ピック病 進行度 余命」

この4つをスマホでググったのを覚えてます。



(当時はYAHOO!だったかな…??)

たぶん、そこが僕が【医療】というものに


初めて自ら触れた時だったと記憶してます。

病気はその後もどんどん進行し、

婆ちゃんは寝たきりになってました。


言い方は悪いかもしれませんが

植物状態というやつです。


もはや”生きてる”と言えるのか。


と、母と考えたこともあります。


母ちゃんもその妹の叔母も


「もうラクにしてあげたい」と口にしていたし、

それを少し願っているのを知っていました。

婆ちゃんが亡くなって、最期の時

母も叔母もどちらも少し

「解放された」と言ってました。



恐らくですが

「生きてるから会いに行ってあげなきゃ」

というプレッシャー


みたいなのもあったのでしょう。

近くで見てきたからわかるんですよ。


自分の親をどのように介護するべきなのかって
各々が葛藤する感じ。


そりゃわかんないですよね。

まあ、なんとも言えませんでした。


そんな寝たきりで最期を迎えた婆ちゃんですが

僕は正直ね

驚きましたよ。

何に?

っていうところですが。


約15年も施設に居た婆ちゃんに対して



少しだけでもお礼が言いたい。



お別れの挨拶がしたい


と言って葬儀に来る人が居たんですよ。


それが何人も。


1人とか2人じゃないんです。

みんな感謝してましたよ。

だって15年ですよ?

言い方悪いですが

15年、

ほとんど外の世界の人達と触れ合えなかったのにも関わらず何十年も会ってない人が最期に
見送りに来てくれるんですよ?

そんな人望ある人居ますか?


はっきり言ってなんちゅう人望の持ち主なんだ!って思いましたよ最期の最後に。

最後に本当に人として大事なものを教えて貰ったと思ってます。

婆ちゃんは確かに

少しボケも入ってて

おかしいところはあったけれども

誰よりも人を愛して誰よりも人に愛された人間

でした。間違いありません。

婆ちゃんは習字の先生で字がビビるほど上手く、文字を書くのが大好きだったんですが



施設で書いたであろう紙には
こう書いてありました。

忘れてはいけないのは恩義
持つべき物は人情

これを自分で言って1番守った人だったんだなあと号泣しながら思いました。

社会人になって


治療家になって

初めての近い人の”死”は

僕を色々考えさせました。

「どんな人間で有りたいか」


「どうすれば周りの人達を救えるか」


「どんな最期を迎えたいか」

婆ちゃんのように人から愛される人間なのか


偉大なことを成し遂げて死ぬか


せめて一発笑いぐらい取って死ぬか



などなど。


それはこれからの自分が作るんだと思います。


婆ちゃんが初めて【医療】
に触れさせてくれたお陰で今の自分がある。


そう思って感謝しつつ


自分の持つスキルと知識が
どうすれば人の役に立つのか。


今一度考えるきっかけになりました。

婆ちゃんには「ありがとう」と伝えて

これからも頑張りたいと思う。


前にも言ったけど

人が何か大事な物に気づくタイミングとか

変わるきっかけっていうのは
意外にちょっと遅かったりする。


もちろんジャストの時もあるけど。

気づけない人は意外に多い。


気づいてもすぐ忘れる人も居る。

だから、



会いたい人には会っておけ


言いたいことは言っておけ

恥ずかしかったらLINEでもいいから
伝えた方がいい。


文字にすらせずに伝えないのはマジ後悔する。


感謝を伝えたい時には
その人は目の前に居ないかもね。


っていうのは自分に対しても
みなさんにも伝えたい。



言葉にするのは凄く簡単で
とっても手軽で


携帯ですこーしフリック入力して
それを送信するだけなのに


行動するのは難しいんだよね。


人生って難しいよね。


自分がどんな最期を迎えたいか


これを考えると自分の”生き方”みたいのが少し

見えてくるかも?

しれない。


それが人生の指標になる人も居るよね。


じゃあまた次の記事で👋

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